つれづれ

セッショニストとしてありのままに生きる

ありのままの自分と手をつなぐ

 

[ありのままの自分と手をつなごう]

 

 

 

 

こんばんは~

いつも夜に活動しているまゆこです。

 

*この記事は2015年4月25日のものです。

2016年現在は、朝方に切り替わっていまーす(笑)

 

過去記事をお楽しみください。

 

 

 

昼でも夜でも

ついつい元気よく「こんばんは~!」と

あいさつをしてしまうまゆこです。

 

本日も占星術のセッションをさせていただいたのですが

 

真昼間にスカイプで

「こんばんは~!」と元気よく挨拶していました(笑)

 

今日のブログは

「セッショニストとしてありのままに生きる」

というタイトルにしました。

 

 

占星術をきっかけに

まゆこセッションで一緒に対話をしてくださり

ありがとうございます!

 

 

お申込みの方に頂いた

セッションの時間をきっかけにして

 

わたしは自分を知ってもらうということも含め

自分の想いをそのまま表現させてもらう という経験値を

どんどんアップさせてもらってます。

 

 

 

今日はふっと

 

・突拍子のないことを言う自分

・言葉づかいが悪くてお行儀の悪い自分

・マニアックでめっちゃ奥まで分析しちゃって考えすぎる自分

・おしゃべりすると倍速で話して止まらなくなる自分

 

 

 

どんな自分が出てきても

 

あ~~そうか~

 

今回はこんな自分か!

今回はせこい自分出たのか!

今回はずいぶんおせっかいさんなんだね。

今回はすっげーバランス感覚のいいセッションだね!

 

 

なーーーんて思いながら

自分をいじめすぎないレッスンをしています。

 

 

前ほどいい悪いの判断を過剰にせずに

 

そのままの自分を

そっか~と感じることができる頻度が増えてきました。

 

 

わたしはここ2~3年無料モニターも含めて

セッショニストという生き方を選んで挑戦してきました。

 

 

占星術やタロットを使って

ネットのスカイプを利用して

多くの方とお話をさせていただいたのですが

 

 

はじめのころは

「セッションをする人というのはこうあるべきだ!」

という思いがとっても強くて・・・

 

 

その「こうあるべき」という制限・思い込みに

自分が全く近づけないことを感じて

とっても苦しんでいたような気がします。

 

理想と現実のギャップ

 

 

 

特に2011年ごろは

まゆこの中にあるセッショニスト像にこんなものがありました。

 

「傾聴ができなくてはいけない」

「自分のことを話してはいけない」

「相手を不幸にしてはいけない」

 

*幸せ・不幸せの基準って人それぞれなのにね

相手の人にしかわからないことなのにね。

 

 

水星が風の元素のわたし。

 

走ったら止まらない

水星が双子座のすべり満載なまゆこが

 

誰かとの対話で傾聴を試みるというのは

ある意味では 拷問に近い?(笑)なんて思うこともありました。

 

*まだ修行が足りていなかっただけですが。

 

 

 

占星術を知ってからは

傾聴ができない私については

 

罪悪感などよりも

むしろ笑い話になってきました。

 

 

 

 

占星術を知る前に

タロットやイメージ療法を使ってセッションさせても経っていた時は

傾聴ができない自分を毎回責めていました。

 

 

 

セッショニストは 「〇〇してはいけない」

セッショニストは 「〇〇であるべき」

 

 

そんなことを今以上に

いーーーっぱいいーーーっぱい

感じていたような気がします。

 

 

今でもふっと出来事を俯瞰したり

自分との距離を置いて物事の視点を新しくするときに

 

「こうあるべき」の観念を

必死に抱えている自分がたくさん出てきます。

 

 

未だに対処不能なくらいに

自分を制限するものが

ごっそり出てくることがあるんですけどね(笑)

 

 

つい最近も

両手で抱えきれないほどの観念が

まゆこの周りにまとわりついていましてね。

 

目には見えない(観念たち)

 

でも自分の周りにひっついていて

今はもうまゆこから卒業しようとしてくれている観念たちを見て

 

ぎゃーーん・・・

こんなにいっぱいある~!と大暴れしていました。

 

 

もう必要がなくなったもの。

 

自分を過剰に守る必要がなく

既に自分が喜ばない観念はさよならしていってくれます。

 

そんな観念たちは

まゆこはもう成長したのでさよならするね~!と

 

自分の中からデトックスされて

えいやっと出てこうとしているのに

 

それをまたギュッと握りしめちゃって

手放すのが難しい時期もいっぱい経験しました。

 

 

しばらく一緒にいた観念さんたちに

別れを告げられる時って

 

さらっと行く場合と

そうでない場合がありあす。

 

 

別れの際に

剥がれおちる時の痛みがあって

 

その痛みを避けて

過去の制限を握ってしまっていたのです。

 

 

ここ最近は

引きこもりという長い訓練(経験)の結果

 

手放さないと

本気でやばい(笑)と思えるようになってきました。

 

 

ちょっとずつですが

思考の断捨離を実行に移せています。

 

そんなここ数年の引きこもり生活で得た経験から

 

この観念ってのは

年齢とともに適度な感じになっていくもんだな~って思いました。

 

 

人間は、いつまでも

同じ制限・価値観を持っているわけではないということ。

 

 

そうですよね。

 

時代と共に

国の法律も変わるように

 

自分自身のルールだって

年齢と共に変わっていくはず。

 

 

 

 

10代よりも20代になったとき

 

あ~10代の自分って

視野が狭かったな~って思ったし

 

同時に10代よりも今(20代)が

より柔軟になったな~♪とも感じれています。

 

 

今は太陽の年齢域を生きているまゆこなのですが

 

あまり経験したことのない「土」のエネルギーを

現在の太陽の年齢域で感じているにもかかわらず

 

それでも視野は広がったし

 

 

20代よりもさらに30代の今は

とってもとっても

柔軟に考えられるようになったな~って思います。

 

 

タイトルで

「セッショニストとしてありのままに生きる」 と書いたのですが

 

セッショニストであっても

クライアントであっても

お友達関係であっても

一期一会関係であっても

 

その場面や役割によって

 

時にはさまざまに

自分を変化させる瞬間は出てくるのでしょうけれど

 

 

 

もっともっと本質の部分では

 

どんな自分であっても

今、そのままの自分が 「ありのまま」なんだから

 

全部OKなんだよね。

 

 

 

 

 

そのまんまの自分が

今、タイミングで必要な人に出会っているんだ。

 

一瞬、何かが足りなかったように思っても

一瞬、力不足ではなかっただろうかと感じても

 

実際は何も過不足なく

今、この瞬間も、その次の瞬間もずっと

 

そのままで お互いが何かを授受しあっている。

 

 

それだけでOKさ。

 

 

そんなことを

今日は静かになったときに自分自身に伝えていました。

 

 

 

 

2015年4月25日の日記

 

 

 

今日更新した記事はこちら

発達年齢域

発達年齢域について

 

 

 

月の年齢域

月の年齢域(0~7歳)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

POSTED COMMENT

  1. YuCha♪ より:

    もう時間がたっているからかもしれませんが
    傾聴はじゅうぶん出来ていると思いました。
    (・・・なんか偉そうな)

    待たれないのが苦手な私。
    よく一方的にしゃべられる人に
    巻き込まれる傾向がある私ですが
    言葉を上手く出せない時に
    一呼吸も二呼吸も置くくらいに
    まゆこさんに待っていただいた
    覚えがあります。

    ぎょえ~!!と実は
    びっくりしていた私でした。

    自分は自分でしかないんですよね^^

    セッショニストの自分もいれば
    クライアントの自分もいる。
    自分の顔だって1つじゃなくて
    いくつもの顔がある。
    それら全てが自分なんですよね。

    とか、言葉ではそこそこのこと書けても
    「こんなの、自分じゃない><;
     けど、自分なんだ~><;」
    を 繰り返している私です(笑)

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