綺麗な物だけ求めると対極や別の極も同時に観る

12.252016

 

 

綺麗な自分であろう

濁りの無いまっさらな自分であろう

 

そう思うと

なぜか濁っている自分や他人を観ることになる。

 

仕方がない

これが地球学校・土星枠内クラスでの

必須科目であり、遊び場における1つのルールだから。

 

何かあなたが

性格が悪いから濁ったものを見ているとか

そういうことではない。

 

 

濁っている存在も綺麗な存在も

 

それもこれもただ何かを知るために

産み出されている宇宙の仕組みなだけ。

 

 

しかもその瞬間は

自分が濁ってしまったかのように思っているけれど

 

実際は

蛹が蝶になるための準備期間であるだけ。

 

そうだったと

飛び立ってから気づくものだったりする。

 

 

綺麗な自分であろう

濁りの無いまっさらな自分であろう

 

そう思うと

なぜか濁っている自分や他人を観ることになる。

 

仕組みで出てきてしまうものなので

自分を責めなくてもいいし

 

仮に見たくないものを見ることになって

自分を責めたとしても

 

その後に

「ああ、わたしは宇宙のシステムをそのまま見ただけか」

そんな風に思ってみたらいいと思う。

 

 

 

 

宇宙は

何かを生み出したあなたを責めることはない。

 

 

どんなものを創造しても想像しても、どんな現象を見ても

いつもいつもあなたを見守ってくれているだけ。

 

それだけあなたの存在は

いつも見守られていると知っているだけで

 

どこかで何かの助けになると思う。

 

知っているだけで

周りの誰かがあなたに上記のような見守るスタンスを

向けてくれているのに気付けるかもしれない。

 

 

知らないと気づけないので

愛の通路を自分の中に開通することで

 

現実からも受け取れるようになります。

 

 

 

 

 

 

産み出すというのは

0に近い何もない状態から

100%の「ある・存在する」状態を創ったともいえるので

 

冥王星の影響というのは

実はとっても身近なところで

いつもいつも経験していることでもある。

 

動きが遅い天体の影響は

あまり感じないと言われているけれど

 

それは

人間として生きていく上で

あまりにも敏感に感じていては大変なので

 

大きな出来事の時に

思い出したように感じてみるだけでいいと設定しているのです。

 

認識できる領域を

あなたにとってちょうどよくするために省略しただけ。

 

 

 

 

綺麗な自分であろう

という欲が生まれると

同時に他の要素も一緒にセットになる。

 

多くは”綺麗じゃない自分”がセットになる。

 

わたしが

講座をうまくやろう、そつなく順調にやろう!

 

そこだけを求めた結果

同時に”うまくできない自分、あまりに計画性のない自分”

というのを誰に言われたわけでもないのに

自分自身でたっぷり味わう結果となった。

 

今思えばそれも

自作自演のステージでしかないのだが。

 

 

講座でお話している

宇宙システムとバランスボールのお話に通じること。

 

 
こうしたい!という願いと同時に

セットになっていると感じる状態も

あくまでも土星枠内での視点にはなるんだけどね。

 

土星枠では

敢えて一定のルールを作ってその中で充実度を図る

そういう世界だから。

 

 

トランスサタニアン領域では

そのルールさえも多様なので縛りがない分

 

意識しないと

自分自身の輪郭がどんどんぼやけていくため

 

わたしが講座ができないと感じたように

何かができない状態に陥っていきます。

 

 

 

ほんとうは地球上でも

2極ではない知覚は意識さえすればいつでもできるよ。

 

 

 

 

地球の多くの経験が

裏と表のセットでなっているので

 

欲が生まれたら同時に他の要素もセットであるという

1つの地球体験の現象でお話。

 

 

 

占星術のホロスコープで言えば

 

例えば

牡牛座の自分だけを徹底して感じようと思えば

向かいの蠍座や、スクエアの獅子座、水瓶座の影響も

同時に感じざるを得なくなっていくということが起きる。

 

 

無自覚かもしれないケド

その影響はどこかしらからやってくる。

 

スクエアだけではない

 

気付きさえすれば

同時にあらゆる方向からの刺激、学びが来ていることに

気付いていくことができる。

 

 

 

また、他の要素をあまり感じない場合は

牡牛座が極まってないということにもなるかもしれない。

 

 

それか刺激や学びに気づけないでいるだけか。

 

気付きすぎるもの日常生活に支障があるのでね!

気付かない方がいい場合もあります。

 

自分が綺麗で

相手が汚いんだ。

 

そう思っていた方が

楽なこともあります。

 

 

トランスサタニアンや

太陽系の外の感覚も同時に扱っていくならば

 

どんな極も

すべて自分の中にあるものだったと思えてくるんだけど。

 

 

 

綺麗な自分であろう

濁りの無いまっさらな自分であろう

 

そう思うと

なぜか濁っている自分や他人を観ることになる。

 

それはどうしてか?

 

とってもシンプルなこと。

 

 

綺麗な自分が【ある】ということを知りたいのだから

それを支える綺麗な自分【ではない】という

裏側にもどこかの意識を使って行き来することで

 

綺麗な自分が【ある】という自覚が生まれる

というだけのこと。

 

 

 

 

もし、牡牛座を知ろう!なんて思わなければ

ただ何も知らずにまっすぐに

牡牛座のことを突き詰めている自分がいるはず。

無自覚の中でね。

 

 

 

その時には

自分は牡牛座の性質を使って存在しているなんて

思ってもいない。

 

 

占星術を知る前の私たちには

そんな発想はないのだから

 

ある事さえも知らなければ

無いことさえも知らない。

 

今思えば

その資質が出ていたと後から気づいている。

 

 

 

 

ただ資質のまま存在しているだけの時は

 

それに没頭しているので

それそのものの自分であるしかできない。

 

自分自身を

鏡もなしで見ることができないように

 

他の要素や自分の姿を映し出すものがなければ

 

認識は生まれてこない。

 

 

自分の姿を映し出すという方法が

この地球では他人を介して行われることが多い。

 

 

他人の行動や目の前の現実に

反応した自分を知ることで

 

自分の瞬間的な姿を知る。

 

人間活動は

存在を感じる、何かを知る

そういうことで満足をすることが多いので

 

自然に何かを映し出して

何かの認識を得ようとする。

 

 

 

今、不安を感じていたんだとか

今、嫌だと思っているんだとか。

 

 

何を認識しても

魂はすべて栄養だと感じている。

 

 

 

この地球で〇〇になろう!と思った時点で

〇〇じゃない部分も同時に内包する。

 

 

自分は綺麗な存在だ!

 

そう思うためには

綺麗ってなんだ?

綺麗じゃないってなんだ?

 

そうやって

自分の中での基準を創る必要が出てくる。

 

 

 

徐々に

自分の中の綺麗な自分を

周りとの関係を通して作っていく。

 

 

創っていく作業もあれば

それらを外していくという経験もある。

 

 

綺麗になるぞ~と躍起になる作業と

綺麗という基準なんて曖昧だなぁ

なんでもOKじゃん!という作業。

 

 

 

 

この地球の現象は

いや、あなたの人間活動における経験は

 

何かになっていこうとする作用と

 

何かから自由になっていこうとする作用が

様々に入り組んで起きている。

 

 

何かから自由になりすぎた人は

 

枠を狭めて小さい自己に自分を調整して

居場所を落とし込むこと

 

できるだけ細かい何かになっていくことの方が

自由だと感じられる場合もある。

 

 

 

 

この宇宙は

無限の可能性で満ち溢れているとよく言われる。

 

 

そのことを知りたいと思った魂は

地球という居場所を借りて経験をすることで

無限の可能性を知ろうとする。

 

何もない空間に

とある1点を置いたときに

 

それが確かに【ある】と知るために

別のもう1点を置いて比べるという経験が起きる。

 

地球の経験で一番経験しやすい

無限の可能性を知る方法かもしれない。

 

 

 

無限の可能性を見ると言っているのに

 

無限ではなく1点しか見ていないじゃないかと

矛盾した感覚に思うかもしれないけれど

 

地球上の

特に土星枠の中では

その方法が一番わかりやすいのだ。

 

 

本当はそこにも

無限が起きているんだけど。

 

 

 

1点にしぼった方が気付きやすいという感じ。

 

ただし

冥王星や太陽系の外まで意識を伸ばしたとしたら

 

地球上で置いたたった1地点の経験から

無限に広がる宇宙を見ている感覚に戻って行ける。

 

戻ると表現したけど

それ新しい宇宙を発見するという表現でも同じこと。

 

 

講座の一環として

わたしが私情を持ち込んで経験したことでは

 

わたしの行動という1つの点に対して

参加者の方のさまざまな反応が起きていた。

 

もちろんわたしもそこで反応していた。

 

 

 

わたしの中では

自分の行動でみんなの信用をなくすと思っていた。

 

思考では

それだけ狭まった1つの視点しか持っていなかった。

 

 

この行動では

自分を信用していなかったと説明したけど

 

でも実際はそれは思考でのことで

 

もっともっと奥深くのところでは

自分のどんな行動も信用していたからこそ

 

仮に悪く思われてもいいという覚悟の元で

自分の行動を発信したという側面もある。

 

曖昧な世界であるので

ごちゃごちゃと混乱したかもしれないけれど

それだけ正解がない世界。

 

自分がこう感じたということでさえ

時間と共に変遷していく。

 

 

自分を信用できない自分が起こした行動でもあり

自分を信用し参加者の方のどんな反応も受け止めようと

思えていたからの行動でもある。

 

 

個として狭めて生きるには

 

自分なりの正解も持っておかないと

日常生活が難しくなるので

 

そこはバランスよく調整できるようなれたら

ますます面白い世界だと感じられるのかもしれない。

 

 

講座内での行動で学んだこと。

意識の投影のお話。

 

 

 

 

同じ出来事でも投影の仕方は多種多様

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

                       

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